時代前進
今日は3限目からだったのでゆっくり起床。最近ご飯を食べ過ぎなのでコーヒーを一杯だけ飲んで学校に向かった。
行きの電車で本を読んだけど全然頭に入ってこなくて途中で断念。槙島聖吾が紙の本は自分の感覚を調整するためのツールでもあると言っていた。調子の悪い時に本の内容が頭に入ってこないのはどうしてなのか、また調子が悪くても内容がスラスラ頭に入ってくるのはどうしてなのかという調律みたいな感覚が紙の本にはある。
これに納得して内容が入って来ない時は潔く諦めて曲でも聴いて休むようにしてる。
今読んでいる本がクラシックにまつわるミステリーで、シューマンが主に話に出てくる。クラシックを演奏している人たちは作曲家の背景や時代などを模索してどのようにしてこの曲が生まれたのかをじっくりと考えながら演奏していく。
クラシック曲は今の時代に作曲家本人が演奏したものが残っていないから、完璧に再現するのはほぼ100%不可能でしょう。仮に名演とされるものがあったとしても作曲家本人が聴いて、こんなつもりで作っていないと言われたら一発アウト。
正解が無いからこそ楽しいものなのかもしれない。そしてクラシックは廃れない。
閑話休題。駅のホームで友達じゃ無く同級生に会ったら気まずいから無闇に人の顔を見るもんじゃあない。まぁどのみち知らない人のふりして通り過ぎるんだけどさ。
学校に着いて昨日の曲の微調整をしてミックスした。聞けば聞くほど自分の曲ってどうなんだろうとゲシュタルト崩壊していくけど作った本人が自信を持っていないとダメだ。
胸を張っていい曲ができたと言おう。ガンバロ〜
授業が早く終わったから友達と餃子の王将に行って夜ご飯を食べた。久しぶりに二人きりで話すとなんだか安心した。
帰りの電車は元気だったからしっかり最寄りまで本を読んで帰った。
家に帰って手を洗ってる時に、親にお金を返そうと思い忘れないよう手に「お金下ろす」と書いたのにてっきり忘れていた事に気づいて、これだから伸びきったニットセーターは嫌いなんだよ!お前の袖が伸びきってるせいでまた忘れちゃったじゃないか!とニットのせいにして手の甲を強く擦った。消えない。
今朝ニュースで千葉かどこかの知事が、会わないのも愛情と言ってた。確かに今の時期にわざわざ会いたい人って限られてくるけど会わないという選択肢も愛情に含まれる時代になってしまったんだなと思った。
コロナが流行る前なら「僕たちのことを考えてしばらく会わないことにしよう」なんて言い訳にしか聞こえないのに今ならこれが本当の意味で使える。
浮気者所君!今が大チャンスだぞ!お前のお得意のフレーズを使ってやれ!!
ただ単純に会いたいって言えないものなのか